皆さんこんにちは!初代まどマギが岩手で撤去になってしまったという虚無感から
虚無虚無プリンになってしまったことで全日本プロレス協会を騒がせているそういちです。
前回のガルパンGのブログの頭でも話しましたが、初代まどマギが10月27日をもって殆んどの都道府県で撤去となってしまいました...。
僕はスロットを初めて2年ちょっとの完全な若輩者なのですが、それでも2013年12月から約6年間の間多くのパチスロファンを魅了してきた本当に素晴らしい台の一つだったと思います。
今回のブログはそんな初代まどマギの僕にとっての短いながらの思い出を書きたいと思うので、目を通していただければなと思います。
まず、私が打ち始めたのが2018年の8月。そして最後に打ったのが2019年の10月末ということで、大体1年半ほど打っていた計算です。
本当は導入初期から打ちたかったわけですが、2013年当時はまだ高校一年生だったので無理な話なわけです...。高校生の頃から打ってた。みたいな人たまにいらっしゃいますけど、俺はまず無理だったでしょうね...。若者らしいニキビのいっぱいある高校生でしたから。
画像は適当に拾ってきた高校生っぽい子たちの写真。ぷちハーレム作ってんじゃねえ。ころ〇ぞ
さて、初代まどマギは自分にとっての初ART機でした。なので、上乗せの概念とかそういうのをあまり理解しておらず、ラッシュに入れてもチンプンカンプンだったと記憶してます。当時ジャグラーくらいしか打ってませんでしたからね。
初めて打った時のユニメモがこちら
なんとも微妙なユニメモですね...。一応勝ったんだったっけかな...?通常1800も回して900しか取れてないから負けてそうな気がしてますけど、そこそこ楽しかったように記憶してます。
そこからまどマギにのめりこんでいくわけですが、今でも思い出深いのが天井からの穢れ開放でまどかEPを引いた時のこと。
台に座ってから天井まで一直線に進んでいってしまったので、凄くイライラしていたんですけど、穢れが解放してまどかの生足が見えたときは思わず声が出ちゃいました...。
そしてその後の展開が凄くて、びっくりするくらい出たんですよね。
一撃で9000枚以上出てそのままART数セットを残してワルプルギスの夜で終了。っていう具合でした。
未だに自己最高記録がこのときのまどマギの記録です。
そのときのことも放課後パチスロ回覧板の第一回の記事になっているのでよければ軽く覗いてみて頂ければと思います。
その次に記憶に残っているのはフリーズを引いたとき。
上記の実践に比べて出玉は大したことなかったのですが、展開はこちらのほうが上でした。
そのときは、とにかくフリーズが引きたくて1でも上等でひたすらまどマギをぶん回してました。
そのとき丁度総回転数が10万回転に届くかなという頃で内心そろそろ引けてもいいだろ?とか思ってたんですが、引いた瞬間は本当に感動しましたね。
で、アルティメットバトルに突入するわけですが、そこが500に届かないくらいで終わったと記憶してます。
なにが凄かったってその後ゼロプル引いたんですよね(-_-;)
まさかフリーズからのART中に2度もアルティメットバトルやれるとは思わなくて流石に驚愕しました。
でもそのとき既に10時回ってて取り切れるかどうか不安でしかなかったんです。
その不安を察してか、80Gで終わってくれたので無事取り切れました。というか余裕でした。
なんならもうちょい乗ってもよかったんやで...。という気持ちでしたね。
本当にまどかには良い思い出ばかりを作ってもらいました。
勿論、一日でどえらい負けを被ったりしてめちゃくちゃ辛い記憶もありますが、それでも良い思い出のほうが圧倒的に多いです。
そのなかでも悔しかったのは設定5っぽい台で負けたこと。
岩手っていう地域は殆んど設定に期待できないのでツモれただけで奇跡だったというのに...。
その時ばかりは流石に吐きそうでした。
それから、撤去前の10月最後にプチボバー揃いに成功したり、ワルプルギスの夜で700近く乗せたり。
最後の最後でも本当に良い思い出いっぱい作れました。ユニメモミッションに関しては全部達成できなくて最終的に86%くらいで終わってしまったんですが、なんかそれはそれでいいのかなっていう感じです。
他にも多く思い出があるわけなんですが、書いても書いてもキリがないので今回はここまでで切り上げたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました!!
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